秘跡について
幼児洗礼について -なぜ幼児に洗礼を授けますか?-
幼児に洗礼を授ける条件
親には、『宝物と感じる信仰を生きること』『カトリックの信仰に従って子供を育てる決心』
子供にとって洗礼はよいことです。
枝である子供が、洗礼によってぶどうの木であるイエスに繋がるので、秘跡の恵みは精神的な点滴であるかのように子供の心を強め始めるのです。
ロンドンに住んでいる日本人の子供が自ずと英語が上手になるように、教会の土曜学校、日曜学校で遊びながら、子供ミサで祈り、聖体拝領する親のそばにいる子供にとっては自ずと信仰に馴染んで行きます。
洗礼を受けた子供は、テニスクラブのビジターのようではなく、ちゃんとした教会のメンバーの気持ちで堂々と自ら教会に入れます。
主な疑問
- Q:幼児洗礼は強制ではありませんか?
- A:確かに実際には、両親と先生からの教育、名前、国籍、学校などもある程度の強制になります。
親は子供のために自身の価値観を分け与えたいと思うのです。
- Q:洗礼を受けないでカトリックの信仰の中で育てられた子供は、大人になって自由に洗礼を選べないのでしょうか?
- A:それもそうでしょうが、その教育自体が強制とは言えないでしょう。
むしろ、家庭と教会を通して神に守られた子供に早く洗礼を受けてよかったと感じさせた方が良いと思います。
しかも、自ら洗礼を選んだつもりの大人は、「あなたがたが私を選んだのではなく、私があなたを選んだ」という事実が幼児洗礼をみて理解できるでしょう。
- Q:子供の考え方が狭くならないでしょうか?
- A:学校と近所の友達もいますし、現在のカトリック教会の考え方はかなり広いですので問題はありません。
- Q:子供が将来、信仰の危機を感じる時、反抗して信仰から離れることはないでしょうか?
- A:確かに反発を感じる時が来るでしょう。それは、大人の受洗者でも同じように感じる時があるでしょう。
しかし、本物の信仰に馴染んだ子供には迷っても戻る故郷があります。
家族の模範、教育、「点滴」のお蔭で自分なりに危機を超えることが出来るでしょう。
親にとってもよいことです
カトリックの信仰を持つ親は、子供の信仰を大切にして、信仰の原点に帰る刺激を感じます。
カトリックでない親は配偶者と子供の信仰を大切にして、信仰に対する無関心な黙認よりも積極的な関心と尊敬を感じるようになるでしょう。
それに、子供の泣き声と笑い声が教会を新鮮な明るさと元気な希望で満たされます。
信頼と感謝を抱きながら、お子様に洗礼をどうぞ。