様々な理由から独身生活をしている人がいますが、世のことよりもキリストに従って主のことに心を使う聖職者の生き方があります。イエス自身が独身だった理由も聖書の根本である「聞け、イスラエルよ。~」(申6:4-5)神を愛し、人を大切にする生き方を徹底的に行い、旅をしながら貧しい人に福音を述べ伝え、普遍的に平等に無償で人を癒していたため、その生き方は家庭生活には合わないので、家族の輪をひろげて皆を自分の家庭にしたのです。トラピストは、社会から離れているどころか沈黙の中の神と皆と繋がっているのです。それは、傘の棒のように中心で皆と一体になり、深いところで出会うのです。
結婚生活は「愛における一体、一体による命」です。結婚の誓いの言葉に表される「逆境においても、貧しい時も、病気に際しても、生涯変わることのない愛と忠実を誓います。」と言う意味の一体です。全面的な献身です。やがて出てくるであろう問題は岩で、海が愛情だとすると海面が下がらないようにすれば、あらゆる問題の岩を超えるでしょう。そのために愛を誓うのです。愛を深めるために互いに見つめ合い、コミュニケーション、忍耐、感謝などの手段を守る夫婦の愛は滅びないです。(Ⅰコリ:13:8)
<以下、略>